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目的に応じた薄毛 女性の使い分けを

T君にとっては毎日が生命を賭けた綱渡りの連続となり、できるだけ外部の人や空気との接触を避けることで、どうにか日常生活を続けてきた。
T君は双生児の弟で、同い年の兄がいるのだが、2卵性双生児であるために遺伝内容が異なっていて、ひとり彼だけが″生まれつきの病気″によって制限された日常生活を送っていたのである。 そんなT君が4歳半になった95年の8月、やっとH大病院小児科に入院して「遺伝子治療」がはじまることになった。
前例のない治療法であるために、開始にあたっては治療対象の範囲などを定めた厚生省のガイドラインが必要とされ、内容が決まったのが92年の4月。 このガイドラインなどに照らしてみて治療内容が適正かどうか、厚生省と文部省(大学病院であるため)による審査がはじまったのが94年8月で、ゴーサインが出されたのは翌95年2月であった。

しかし次には、あとで述べるようにアメリカから薬品などを輸入する必要があるために、アメリカ側の検査や審査に手間どって、結局、第1回目の治療がスタートしたのは95年の8月に入ってからであった。 週1回の割で通院しながら開始を待ったT君にとっても、また「子供にもしものことがあったら」と心配し続けたS医師にとっても、長い21年半だったに違いない。

その8月1日は、T君の身体から1時間40分かけて採血を行い、白血球の一種であるリンパ球と呼ばれる細胞だけを残して、その他は体内に戻した。 このリンパ球を培養・増殖させたあと、欠けているADA製造能力を付け加えるために、ADAの製造を司る遺伝子を運び込む作業を行う。
そしてさらに培養したあと、採血から1週間後にあたる8月8日に、点滴の要領でT君の静脈へリンパ球が戻された。
患者に対する作業だけを見れば、献血に続いて輸血を行ったようなもので、身体を切り開く外科手術のような大きな仕掛けも派手さもない医療技術である。
しかし、治療の総括責任者をつとめるS医師は当日の記者会見で、「昨晩は緊張からほとんど眠れず、午前3時に目がさめてしまった」と明かしたほど、病院全体が緊迫した空気につつまれていた。 じつは、T君への遺伝子治療が厚生省と文部省によって認められた直後の95年2月に、筆者はS医師にインタビューをしている。
そのとき、「開始決定を知って最初に思ったことは?」と問うと、こう話してくれた。 「なによりも患者を救うことが大切です。」

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